本だな 「The Climate in Historical Times: Towards a Synthesis of Holocene Proxy Data and Climate Models」H.Fischer・T.Kumke・G.Lohmann・G.Floeser・H.Miller・ H.von Storch・J.F.W.Negendank共編，Springer，2004年，488頁，価格 EUR 139.95， ISBN 3-540-20601-9 本書はGKSS研究センターを含むドイツの幾つかの国立研究機関と大学（初期には５つ， 後には14）の研究者達による横断的プロジェクト The Climate in Historical Times （ドイツ語での頭文字をとってKIHZ）の成果を集めたもので，プロジェクトの名前がそ のまま書名になっている．副題にあるHolocene（完新世）は，現在に最も近い氷期が終 わってからの一万年あまりの期間を指す地質年代であるが，近代的な測器による気象観 測の歴史は高々 200年程度であり，このような長期にわたる気候の歴史を追いかけるに は何等かの間接的な証拠（代理データ；プロキシー）によらねばならない． 過去の気候や環境を復元するのに用いられる試料には，樹木の年輪，湖底堆積物中の花 粉の化石，海洋堆積物の掘削コア，氷床の掘削コア，珊瑚（の化石）などがあるが，こ うした試料から得られるデータから過去の気候変動のシグナルを読みとるには，それら の変動が何を反映したものであるかに関する専門的知識と経験が必要であるのと同時に ，それらが表現する気候要素の変動特性についてもある程度理解しておく必要があるだ ろう．今日では大循環モデル等各種の数値的気候モデルが比較的簡単に利用できるよう になってきたので，得られたデータの時間・空間的整合性やそこから導き出される仮説 の物理的妥当性のチェックにために気候モデルを使いたいという古気候の観測的研究者 側からの要望は強い．一方，気候系及びそのモデル化に取り組む研究者側からすれば， 測器観測の及ぶ期間を越えた長い気候変動の記録や現在とは異なる外的強制（境界条件 ）の下での変動や変化の記録は，モデルの性能のチェック，更には気候変動のメカニズ ムの理解自体にとっても有用であると考えられる．また，記録を提供する試料そのもの についても，その解析手法や解釈については日々進展があり，また目的に応じた新しい 指標を見いだす努力も続けられている．例えば古くから使われている樹木の年輪におい ても，近年では構成物質中の安定・放射性同位体の分析から各種の情報が読みとられる ．こうした事情を背景に，観測とモデル双方を含む広い範囲の研究者達がそれぞれのツ ールとノウハウを持ち寄り，互いの手法や考え方に習熟しかつ共通に議論する場を提供 するというのがKIHZというプロジェクトの初期のねらいであった． 本書の各章は，2001年９月に行われたKIHZの会合における講演を基にした23編の論文等 からなり，その内容はプロジェクトの目的に呼応する形で，各分野のレクチャー的なも のとメンバー達による研究報告的なものの二種類に大別される．章構成上これら二種類 のものが明確に区切られているわけではないが，以下各章のタイトルの和訳を挙げてお く． 1.完新世−その気候と気候アーカイブについて 2.気候システムの非線形力学 3.現実的な気候モデルとその古気候への応用 4.モデルシミュレーションによる完新世の気候変動−その最前線 5.海の古気候学−動機・方法及び成果 6.気候アーカイブとしての珊瑚 7.年層をなす湖底堆積物と古気候との関係性 8.木の年輪からの解釈 9.極域氷床コアに記録された古環境と気候 10.古気候記録からデータ同化の意味で復元されたラージスケールの気候変動 11.ドイツHolzmaar湖の年層から読みとられる環境変化に対する湖沼生態系の応答 12.完新世におけるサハラ・アラビア砂漠の古気候学 13.古気候復元のための変換関数−理論と方法 14.古気候復元のための変換関数−応用 15.C3植物の水素と酸素の安定同位体からの気候学的情報−室内実験と野外観測 16.季節分解能をもった250年分の珊瑚の記録からの気候モードの読みとり 17.一万年から９千年前の期間におけるHolzmaar湖とGISP2コアの記録に見られる太陽活 動周期の位相安定性 18.完新世における北極海への変動する淡水流入−モデル実験の含蓄するもの 19.CLIMBER-2地球システムモデルによる過去千年間の歴史的強制シミュレーションにみ られる気候変動 20.古気候復元における高分解能古地磁気解析の寄与 21.全球及び地域気候モデルに見られる内部気候変動 22.アジョイントモデルによる気候解析−可能性探査実験 23.KIHZプロジェクトによって利用可能なプロキシーデータとモデルシミュレーション からみたマウンダー極小期 最初に第１章で完新世という時代を概観した後，２〜４章では気候システムの力学と気 候モデル及びモデルを用いた気候変動研究にかんするレビューが行われる．記述は解説 的というより網羅的（特に２，４章）であり，初学者が気候システムとその力学に関す る具体的イメージを得るには向かないが先端研究へのインデックスとして用いると有用 であろう．続く５〜９章で，古気候復元に用いられる各種データとその分析手法等が概 説される．この部分は幾分教科書的であり，ものによっては具体例を挙げたかなり詳し い説明がなされる．また13，14章ではプロキシーデータを気候学的な変数に読み替える 際の変換関数の構築方法が数学的原理にまで遡って扱われている．評者のように変換後 の解釈の終わったデータばかりを見ている者には普段見られぬ舞台裏を覗いているよう でなかなか興味深かった．その他個々の研究で興味を引いたものを幾つか挙げておくと ，18章は様々な地質学的な証拠から復元された完新世における北極海への淡水流入量の 変動を大西洋北極海の海氷−海洋循環モデルに与えて，表層及び深層循環の応答をみた ものである．23章のマウンダー極小期は17-8世紀頃にみられた太陽黒点数の変動（これ は太陽の活動度と関係すると云われている）における代表的な極小期の一つで，ヨーロ ッパの小氷期における最寒気とほぼ重なっている．そのため両者の関係性は昔からしば しば議論されてきた．ここでは，KIHZプロジェクトのメンバーらの手になるプロキシー データを，復元に基づく太陽活動度・火山性エアロゾルを強制力とした結合大循環モデ ルの長期シミュレーション結果と照らし合わせつつ小氷期の気候の特徴が議論されてお り，本書のハイライトをなす部分といえる．また10，22章では，限られたのもでしかな い古気候データから時間空間的に整合のとれた気候変動のパターンを得たり，同定され た変動パターンを生み出した外的強制力を特定するに際し，モデルの持つ力学を直接利 用しようとするいささか野心的な試みが紹介されている．そのための具体的な方法とし て（統計的アップスケーリングと）パターンナッジング及びアジョイント法が用いられ る．これは現業予報システムや再解析プロジェクトで用いられているデータ同化手法の 古気候への応用ともいえるが，古気候ならではの問題点も多く，この部分は本書におけ るもう一つの柱となっている． 以上内容紹介としてはモデル研究の部分に偏った観はあるが，本書の半分は観測的研究 に関するものであり，評者自身読んでいて面白かったのはむしろそちらの方であった． プロジェクトの目的や内容からもわかるように本書は古気候学におけるやや程度の高い 教科書としても利用できる（事実本書は GKSS School of Environmental Research シ リーズの一つとして刊行されている）．観測側であってもモデル側であっても，古気候 学の研究を目指すものにとっては読んでおいて損のない一冊であろう． （「天気」2004年11月号）